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平和の道ハイキング【戦後70周年】
史跡めぐり「平和の道」ハイキング
3月27日。
何の日かご存知でしょうか。
東洋随一といわれた旧陸軍大刀洗飛行場及び関連施設への第一回目の空襲が行われた日(昭和20年3月27日)です。
大刀洗飛行場への空襲の際、関連施設のあった小郡市でも多数の被害がありました。
毎年この日に行われている「平和の道」ハイキングへ、今なお残っている戦争の爪痕を巡り、戦後70年を考える良い機会になればと思い、参加してまいりました。

出発~甘木鉄道今隈駅

平日の開催ながら、甘木鉄道今隈駅前には多くの方がお見えになりました。
受付を済ませ、グループごとに分かれてハイキングしてゆきます。
この「平和の道」ハイキングは大刀洗空襲の日にこだわって開催されるとのこと。
開催にあたり、小郡市文化財課の方や史跡案内ボランティア友の会田中会長のお話、また当時の近辺のことをよくご存じという参加者ミゾグチさんのお話などがありました。
田中会長からは大刀洗飛行場の概略や空襲時の被害などについて、ミゾグチさんからは当時の生々しい被害の様子などが語られ、大刀洗飛行場の成り立ちやその規模、空襲の被害の恐ろしさを感じました。
出発~甘木鉄道今隈駅

甘鉄今隈駅に集合!

出発~甘木鉄道今隈駅

写真や地図などを拝見

出発~甘木鉄道今隈駅

多くのご参加がありました

出発~甘木鉄道今隈駅

グループごとに出発!

出発~甘木鉄道今隈駅

資料を見ながらご説明を

当時B29戦闘機が大編隊でやってきて、250キロ爆弾をたくさん投下。
その際、一度目は600人~800人の方が、二度目は約300人ほどの方が犠牲に。
また、その爆撃によって今隈周辺にも大きな穴ができ、ミゾグチさんのお話では、雨が降るとその穴が池のように巨大な水たまりになっていたのだとか。

立石平和の碑

ひとつめのポイント、小郡市井上にある【立石平和の碑】。
昭和20年の3月27日、この日立石国民学校(現立石小学校)は終業式の日で集団下校の際アメリカ軍の空襲を受け、児童3名(5年生1名、3年生2名)を含む7名の方が犠牲になり、多数の負傷者がでたそうです。
激しい空襲であったためか、犠牲になった児童の一人は遺体が何も残っておらず、周辺の木にひっかかった衣服などで死亡を判断されたというお話を聞くことができました。
また、児童だけでなく、馬車ごと爆死してしまった方、赤ちゃんをつれたお母さんも犠牲になったとのこと。
この周辺にはガソリンドラムや木の大砲などが置いてあったため関連施設として狙われたという説と誤爆であったとする説があるそうです。
平和の碑は平成17年に現在の場所に設置され、戦争の悲惨さや平和を守る大切さを伝え続けています。
碑をよく見てみると、犠牲者の数と同じ、ななつの星があります。
立石平和の碑

平和の碑が見えてきました

立石平和の碑

平和の碑についての説明を

立石平和の碑

碑の前にて説明を受けます

立石平和の碑

皆さんで手を合わせました

立石平和の碑

当時の避難方法などについて

立石平和の碑

当時の道はこちらだったそうです

立石小学校の奉安殿

奉安殿とは?
戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語をおさめていた建物のこと。
立石小学校の奉安殿(小郡市吹上)は今現在立石中学校横に設置されていますが、元々は立石小学校の入り口付近にあり、登校時には奉安殿へ最敬礼をして学校へ入っていたそうです。
立石小学校の敷地内には当時の台座もあり、立派な建造物であったことがうかがえました。
立石小学校の奉安殿

春らしくお花が咲き始めていました

立石小学校の奉安殿

しっかりとした屋根です

立石小学校の奉安殿

奉安殿の説明を受けます

立石小学校の奉安殿

元々奉安殿が設置してあった場所

立石小学校の奉安殿

随分朽ちてきているようです

立石小学校の奉安殿

つくしがたくさん!

花立山防空壕・被弾跡

戦時中に空襲から身を守るためにつくられた防空壕(小郡市山隈・干潟)。
花立山には人々が避難するための防空壕や陸軍関連施設で使用するための防空壕など、用途に合わせて多くの防空壕が作られたそうです。
実際に案内していただき見てみると、山肌にいくつかの大きな溝が掘られていました。
当時はこの溝にふたをするように木々や葉っぱなどをかぶせて、防空壕として使用していたそう。
また、2回目の空襲では花立山周辺にも空爆が行われ、今現在でも被弾跡などが見られました。
花立山防空壕・被弾跡

ハイキング日和です!

花立山防空壕・被弾跡

防空壕は深い溝状になっています

花立山防空壕・被弾跡

現在も空襲の被弾跡があります

花立山防空壕・被弾跡

何本も深い溝が掘られていました

花立山防空壕・被弾跡

防空壕の跡もたくさんありました

花立山防空壕・被弾跡

花立山も春色になってきました

被弾木

3月31日の空襲では花立山周辺も爆撃を受け、当時被弾したヤマモモの木(小郡市山隈)は大きな裂け目がありながら今でも青々と枝を張っていました。
被弾木の近くの側溝では、たくさんの兵隊さんが亡くなっていたという証言もあり、子どもが遺体を数えようとして憲兵に怒られたというようなお話を聞くことができました。
当時の空襲の被害について、新聞では大した被害もなかったというように報じていたのだそう。
被弾木

被弾木の説明を受けました

被弾木

被弾したヤマモモの木

被弾木

この側溝にもたくさんの遺体があったそう

傷ついた観音像と釈迦像

3月31日の空襲では、花立山周辺の民家16軒が全焼し、住民も5名の方が、軍関係者においても100名近くの犠牲があったそう。
当時の薬師堂も爆撃を受け、安置されていた観音像の頭部が後年500メートル離れた場所で発見されたとのこと。
釈迦像についても、同様に爆撃によって光背部分が欠けていました。
地元の方々によって平成20年にこの観音堂がつくられ、戦争の悲惨さや空爆の激しさを今に伝えています。
また、毎年3月31日には地元の方たちが集まり、供養が行われているそうです。
傷ついた観音像と釈迦像

観音堂について説明を

傷ついた観音像と釈迦像

(左)釈迦像 (右)観音像

傷ついた観音像と釈迦像

山隈側からの花立山

到着~甘木鉄道山隈駅

到着~甘木鉄道山隈駅

ゴールは目前!

到着~甘木鉄道山隈駅

無事到着しました!

到着~甘木鉄道山隈駅

ご参加の皆様、お疲れ様でした!

9時半頃に甘木鉄道今隈駅を出発し、正午過ぎに甘木鉄道山隈駅へと到着しました。
小郡市内の戦争遺産を見てまわることができ、大変勉強になりました。
戦争の時代の厳しさを知らない世代の私では想像も及ばない、悲惨な被害がこの小郡市内でも多数あったことを知り、改めて平和の大切さを感じることができました。
今回はボランティアの方のお話や見せていただいた当時の写真や資料、当時の被害を知る方の生々しいお話、また戦後70年経ってもいまだに残っている戦争の爪痕を実際に見聞きすることで、参加者の皆様にも得られるものが多くあったのではないでしょうか。
季節柄ハイキングにも最適で、自然豊かな花立周辺を気持ちよく散策できたことも、戦争の悲惨さとのコントラストがより一層実感として心に残るものとなりました。
戦後70年を、新たに平和について考える機会としたいものです。



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